1962-03-23 第40回国会 衆議院 外務委員会 第15号
なお、先ほどQMの返還物資はどういうものがあったかというお尋ねがあったそうでございますが、靴、バッグ、シャツ、そういうようなものを返還しております。これが六十八万ドルの内訳でございますが、そういう物資でございます。
なお、先ほどQMの返還物資はどういうものがあったかというお尋ねがあったそうでございますが、靴、バッグ、シャツ、そういうようなものを返還しております。これが六十八万ドルの内訳でございますが、そういう物資でございます。
もし当時の政府、特に内務省と商工省が、返還物資に関する業務を重要視し、すみやかに陣容を整備して十分に地方廳、兵器処理委員会並びに代行五社の兵器処理部を指揮監督いたしましたならば、日本経済の復興と民主安定とのために一層の実効をあげ得たと考えられるのであります。いかに当時の政府及び地方廳がまつたく政治並びに行政の責任を放擲し、利己的行為をたくましくしたものであるかが立証せられます。
○渡邊(義)證人 準備した結果は、その当時は先ほど申しましたように、政府側の方が九月二十四日附で返還物資処理の要綱が來ておつたということになつたものですから、從つて具体的に進む方針としては返還物資の全部にわたつての内閣の方針に則した動き方をしなければならぬということになりまして、そうして政府側の方が先方からそう指示されたこともあるとすれば、実行者としては民間の適当な業者が結束してやるがよかろうという
○中島証人 返還物資のことにつきましてはただいま申し上げましたように、まだ東久邇内閣がその処理方針をかれこれ決定する段にまで至つておらなかつた。それがいよいよ閣議決定事項としてその方針が決つたのは十月十九日と思つております。それは幣原内閣のときの閣議であります。その方針に則つて中央特殊物件処理委員会というものが設置されましたのが、私の調査によりますと十月三十一日になつている。
その当時返還物資に含まれたものは、まず食糧、衣料医薬及びそれの材料、それから運搬に必要なるもの、これは馬のようなものから自動車等、とにかくそういう物件が軍に集結しておりまして、それが非常に多かつたようです。
方針としてはその返還物資を内務大臣がこれを受領し、保管し、それから先にこの処理方針を決定する方針でありましたが、まだ受領が済まないうちに、われわれは退任したような次第でありますから、そこまで日にちがなかつたわけであります。
○藤澤證人 当時私ただいま申しました通り、鉄鋼統制会の仕事をやつておりましたので、どちらかと言うと、ただ手傳いさえすればいいという氣持であつたのでありますが、ほかの返還物資のこともよく存じておりませんでしたし、ただ日鉄と鋼管でやる委員会組織にするというようなお話がありましたので、そのつもりになつて定款等を考えておつたのでありますけれども、全貌がはつきりいたしませんので、どういう形をつくつていいか自分
○明禮委員 あなたが事務をおとりになる初めに、マツカーサー司令部から帝國政府に対する返還物資についての覚書が來ておりますね。
○梶川委員 返還物資とただいま言われても、結局返還物資については何もしなかつたということになつてくるですね。調査部を設置した以外は何もしなかつた。
その閣議の決定に引続きまして、いろいろ内閣各省とも御相談をして、この兵器なりあるいは被服、衣料、また各仔細にわたる返還物資を処理するために、特殊物件処理委員会というものをつくろうということで、それも期日ははつきり記憶しませんが、処分大綱をきめていただいて間もなくでき上がつたのではないかと思います。
○青木證人 それは調査部長に包括的に返還物資のことをやれというふうに、あるいは内務大臣からお話があつたか、内務次官から話があつたか、その設立の当時のことはよく知りませんが、言われたことだろうと思います。それに附随いたしまして、分課規程というのが多分つくられたと思います。そこで各課の仕事でどういう分担をやるかということがきめられますから、それで仕事の内容がきまつてくるわけだと思います。
○梶川委員 返還物資の処理というと、やはりこの二項のその他特に内務大臣の指定する事項というので、その都度内務大臣が指定したわけですか、そこはどうですか。
丁度終戰後連合軍から返還物資というものが日本政府へ返還された。それでその都度連合軍から引取れという指令のある場合と、それから軍が放り放しにしたものをこちらで発見してスクラツプになつたようなものを集結してそれを修理するということが行われたのです。そういう自動車に対しては、必要な重点的方面へ配分するということを申上げましてね。
○田中(角)委員 これは御証言を要求したのでありますからそれで結構でありますが、返還物資を対象とした委員会であつたならば、二十一年五月十六日にはすでに日本政府から占領軍当局にリストが出ておつたはずであります。
と同時に、なぜそういうことを御証言願うかといいますと、非常に重大な問題でありまして、二十一年五月十六日に契約したところの兵器処理委員会が、非常にこれは間違われたのでありますが、放出物資とし終戰当時のどさくさのときに放出された物資と、もう一つは進駐軍に日本政府からリストを提供して、しかもそれは非常にこまかいリストでありますが、このリストを提供して、返還物資として日本政府に返還をされたもの、こういう二つのものがあるのでありますが
返還物資であります。その返還物資のリストがそのときにあつたかどうかということでありますが、どこにそういうものがあつたか私は伺いたいと思うくらいであります。しかし決してどさくさまぎれに出たものを委員会で取扱つたものでなく、委員会は処理しろと言われたものだけを処理してまいつたのであります。ただそのリストがなかつたということを申し上げたのであります。
○青木証人 返還物資の処理につきましては、すでに御承知と思いまするが、連合軍の総司令部から指令と申しますかデイレクテイヴが出まして、これに基きまして、事の重要なものにつきましては、閣議決定に基き、あるいは次官会議なり、あるいは特殊物件処理委員会というような委員会において、審議をいたして処理することになり、また事の軽微なものは、地方廳に任せるというようなことにしておつたのでありまするが、その方針を立て
さようなわけでございまして、處理の状況をごく概略申し述べますると、内務省關係で申しますと、特殊物件の歳入徴收につきましては、特殊物件のうちの返還物資の總收入豫定額を大體——これは豫算的ではないのでありまするが、大まかに三十一億と豫定されたのでありまして、緊急放出物資の總收入額の約四億圓がさらにそのほかに見込まれておりますし、また統制機關などから納付すべき價格差益が大體四億圓、これはただいま申しました
運輸建設本部が當初特殊物件として受入れたものは、いわゆる返還物資及び海軍より直接保管轉換を受けたものの兩者を併せて、帳簿價格で一億二千五百六十五萬餘圓であります。
その當時臨時雜收入の六千九百萬圓というのはあまりに少な過ぎはしないかということをお尋ね申しましたところが、その後詳細な御調査によりますと、まず内務省の所管の分で、特殊物件の歳入徴收については大體返還物資の總收入額三十一億圓、緊急放出物資の總收入額が約四億圓、これだけのものが見込まれておりまして、特殊物件の總收入額は四十億圓程度と推定されておるのであります。
それから、この特殊物件は、今、政務次官からお話もあつたように、もともと終戰後における緊急放出物資の一部竝びに内務省が各軍關係から引繼いで、そうして連合軍に渡して、それからまた返還を受けた、いわゆる返還物資と、この二つであろうと思うのでありますが、これらのものは内務省で動産の中の一部を扱い、その他のものは兵器處理委員會、あるいは鐵道省もしくは遞信省に移管をしたようでありますが、この鐵道省及び遞信省に移管
二十二日午前十一時に宇都宮に著きまして、ただちに縣廳へ參り、縣廳の各係の課長に寄つてもらつて、調査を開始したのでありますが、第一に參考資料として、栃木縣において終戰後軍から縣が引受けたる物資の明細表、さらにその中、軍から進駐軍へ報告したる物資の明細表、次いでその中、軍より返還を受けたるものの明細表、なおその當時未返還であつたが、その後において返還せられたものがあるかどうか、返還せられないもので未返還物資
それから調査局の仕事、つまり返還物資であるとか、そのほか連合軍から命ぜられました諸調査、こういう事務につきまして調査局の駐在員が數箇所に駐在しておりますが、これは一箇所數名程度でありまして、きわめて小さいものであります。それで以上のようなものの説明は省略させていただきまして、土木出張所の御説明を申し上げます。